マーケティングの予算を決めるとき、「売上の何パーセントを使うのが普通か」という問いが必ず出てきます。業界平均として示される数字は多くありますが、算出の元になった会社の範囲や、何を費用に含めたのかが分からないものが少なくありません。
米国の化粧品会社 e.l.f. Beauty は、この種の数字を自社の提出書類に毎年書いています。米国SECへ提出するForm 10-Kの事業の説明に、「marketing and digital」への支出額と、それが売上の何パーセントにあたるかを1文で記載しています。2026年3月31日に終わる年度は399.8百万ドルで、売上の約24%です。
ただし、この24%をそのまま自社の予算の根拠にはできません。何をこの括りに含めるかの定義が、提出書類に書かれていないからです。この記事では、同社が公表している5期分の数値を並べ、どの書類のどこに何が書かれているのかを整理したうえで、この数字の使える範囲と使えない範囲を分けます。数値はすべて同社の提出書類の記載で、確認日は2026年11月4日です。
公表されている5期分の数値
同社の決算期は3月末です。各年度のForm 10-Kに書かれている「marketing and digital」の支出額と売上比、そして同じ年度の通期決算発表に書かれている売上を並べます。
| 年度(3月期) | marketing and digital | 売上比 | 売上 |
|---|---|---|---|
| 2022年3月期 | 63.2百万ドル | 約16% | 392.2百万ドル |
| 2023年3月期 | 126.0百万ドル | 約22% | 578.8百万ドル |
| 2024年3月期 | 256.0百万ドル | 約25% | 1,023.9百万ドル |
| 2025年3月期 | 318.8百万ドル | 約24% | 1,313.5百万ドル |
| 2026年3月期 | 399.8百万ドル | 約24% | 1,636.5百万ドル |
金額は5期で6倍を超えました(公表値どうしの割り算で、当社の計算です)。いっぽう売上比は、約16%から約25%まで上がったあと、約24%、約24%と並んでいます。伸び続けているのは金額のほうで、比率は直近3期ほとんど動いていません。売上が増えるぶんだけ支出も増やしている、という形です。
売上比は、同社が10-Kに「approximately 24% of our net sales」という形で書いている値です。当社が割り算で出したものではありません。いっぽう売上は、同じ年度の通期決算発表に書かれている数字で、比率と売上は別の書類から取っています。
比率を上げた局面と、保っている局面
5期を2つに分けて読むと、動きの性質が違います。
2022年3月期から2024年3月期までは、比率そのものを上げた局面です。約16%、約22%、約25%と2年で水準が変わっています。この間の売上も392.2百万ドル、578.8百万ドル、1,023.9百万ドルと増えており、支出と売上が同時に伸びました。
2024年3月期以降は、約25%、約24%、約24%です。金額は256.0百万ドルから399.8百万ドルへ増えましたが、比率は上がっていません。比率を引き上げる段階はいったん終わり、水準を保つ段階に入っている、と読めます。同社は2026年3月期の決算発表で、この年度が売上と市場シェアの成長の7期連続目にあたると記載しています。
ここで注意が必要なのは、どちらの局面についても「なぜその水準にしたのか」が提出書類に書かれていないことです。目標比率を掲げた記載も、比率を据え置いた理由の説明も見当たりません。読み取れるのは結果の数字だけで、意思決定の過程は公表されていません。
「marketing and digital」は損益計算書の科目ではない
この数字をいちばん誤読しやすいのが、ここです。
399.8百万ドルという金額は、連結損益計算書に並んでいる科目ではありません。10-Kの事業の説明の部分に、文章として書かれているものです。損益計算書の側にあるのは販売費及び一般管理費(SG&A)で、2026年3月期は1,026.1百万ドル、前期から248.4百万ドル増えています。
同社はSG&Aの増加要因として、marketing / merchandising / distribution の費用、人件費と福利厚生、減価償却と償却、専門家への報酬、規制対応の費用を挙げています。marketingはその一項目で、それぞれがいくらだったかは示されていません。
つまり399.8百万ドルとSG&Aの1,026.1百万ドルは、同じ会社の同じ年度の数字でありながら、対応関係が公表されていません。399.8百万ドルがSG&Aのうちどれだけを占めるのかは、提出書類からは計算できないということです。
さらに、「marketing and digital」という括りに何を含めるかの定義も、確認した5期分の10-Kには記載がありません。媒体への出稿費だけなのか、クリエイティブの制作費、担当者の人件費、ツールの利用料まで入るのかが分かりません。定義が分からないものは、他社の数字とも自社の数字とも並べられません。並べた時点で、違うものを比べたことになります。
公表されていないこと
数字を使う前に、書かれていない項目を確かめておきます。確認した範囲では、次はいずれも記載がありません。
- 「marketing and digital」に含める費目の定義
- その内訳(媒体費、制作費、人件費などの区分)
- ブランド別の支出額と比率
- 国や地域ごとの支出額と比率
- 小売店経由と自社ECなど、チャネル別の配分
- 目標とする比率の水準
同社は2026年3月期について、5つのブランドすべてが成長したと記載しています。支出も複数ブランドの合算で、1ブランドあたりの比率ではありません。またこの年度には買収したrhodeが含まれており、同社は買収契約で定めたearnoutの基準に対してrhodeの売上が上回ったことを理由に、57.6百万ドルの公正価値の調整を計上したと記載しています。5期を通して同じ事業の構成を見ているわけではないという点は、比率を時系列で読むときに外せません。
この比率を自社の基準に使えるか
結論を先に書きます。そのまま当てることはできません。定義が公表されていないため、自社が数えている「マーケティング費用」と同じものを数えているかどうかを確かめられないからです。
使える読み方は2つあります。
ひとつは、水準の桁を知ることです。消費財で、認知を取ることそのものが商品力の一部になっている会社が、売上の2割を超える水準を数期続けている。この事実は、自社の水準を置く位置を考えるときの参照点になります。自社の比率が1桁%なら、同じ戦い方はしていないということです。
もうひとつは、比率の動かし方を知ることです。同社は比率を一度に上げたのではなく、2年かけて段階的に上げ、そのあとは水準を保っています。上げる段階と保つ段階を分けている形は、予算の組み方として読めます。ただし効果については、同社は比率と結果を結びつけた説明をしていません。この水準にすれば売上が伸びる、という関係は提出書類からは読み取れません。
逆に、やってはいけない使い方を整理します。
自社で同じ数字を作るときに決めること
他社の比率を借りるより、自社で毎期同じ定義の数字を持つほうが使えます。決めることは3つです。
1つ目は、分子に何を入れるかです。媒体費だけにするのか、制作費、ツールの利用料、担当者の人件費まで入れるのかを決め、定義を文書に残します。e.l.f. Beautyの例が示しているのは、定義を書かずに比率だけを出すと、あとから誰も検証できなくなるということです。公表している会社でもこうなります。
2つ目は、分母をどの売上にするかです。全社の売上か、対象ブランドの売上か、対象チャネルの売上か。ブランドや地域を増やしたときに分母の中身が変わると、比率の連続性が切れます。同社の5期も、途中で買収したブランドが分母に入っています。
3つ目は、定義を変えたときに記録を残すことです。変えた期は、変更前の定義でも計算して並べます。これをしないと、実際には定義が変わっただけの増減を、施策の成果として読んでしまいます。
測り方の組み立てはマーケティングのKPIの決め方とKPIレポートの作り方で扱っています。
同じ「マーケティング費用」でも、会社ごとに中身が違う
当サイトでは、公表されたマーケティング費用の読み方を会社ごとに扱っています。Airbnbのマーケティング戦略を10-Kで読むでは、損益計算書に載るマーケティング費用と、別に開示される広告費が同じ金額ではないことを整理しました。Wiseは新規の約7割が口コミでは、口コミ中心だと説明している会社が広告費を増やしている形を扱いました。
3社とも「マーケティング費用」という言葉を使っていますが、どの書類のどこに書かれ、何を含み、何と比べられるかがそれぞれ違います。他社の比率を横に並べて平均を取る前に、この3点がそろっているかを確かめてください。そろっていないなら、出てくる平均は数字の形をしているだけです。
海外企業の公表値の読み方は海外マーケティングにまとめています。
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