社内へAIを広げた話で、最初に出てくる数字は普及率です。業務自動化サービスのZapierは、その普及率を公式ページで3回、しかも別の値で公表しています。Anthropicの導入事例ページには「89% AI adoption across all employees」。自社ブログの全社導入の記事には「97% of our team actively uses AI in their day-to-day work」。採用基準の記事には「100% adoption」。どれも同じ会社の公式ページです。
数字が食い違っていること自体は、不正確さの証拠ではありません。測った時期が違い、書かれている言葉も「adoption」「actively uses AI in their day-to-day work」と違います。ただし、どのページにも算定方法が書かれていません。自社の資料に引き写すなら、この性格を知らないまま使うと、根拠を聞かれたときに答えられなくなります。
この記事では、Zapierの公式ブログ3本とAnthropicの公式導入事例だけを材料に、公表されている普及率の出どころ、全社へ広げるまでの5段階、使い方より先に用意した土台、採用基準への組み込みを順に見ます。数値は原文の表記のまま書き、換算や言い換えをしていません。確認日は2026年10月7日です。
普及率は、ページごとに別の値が載っている
まず、3つの値がそれぞれ何として書かれているのかを分けます。
Anthropicの導入事例ページは、Zapierを「approximately 360 employees」の完全リモートの組織と説明し、冒頭の数値として「89% AI adoption across all employees」「800+ AI agents deployed internally」「10x year-over-year growth in Anthropic app usage」の3つを挙げています。社内のエージェントは800件を超え、従業員数より多いという書き方です。
自社ブログの全社導入の記事は、冒頭で「97% of our team actively uses AI in their day-to-day work」と書いています。測り方についての記述は1文だけで、「We also started tracking AI adoption in our engagement surveys.」。従業員向けのエンゲージメント調査で、日々の業務でAIを使っているかを尋ねた自己申告です。推移も同じ記事に載っており、Code Redの6か月後にあたる2023年後半で63%、2024年末で77%、そして直近は97%前後としています。
採用基準の記事では、さらに上の値が出てきます。「AI usage at Zapier has exploded—to 100% adoption as teams across every function have moved from personal experimentation to redesigning teams and workflows with an AI-first lens.」。ここには時点の記載がなく、調査にもとづく値なのかどうかも書かれていません。
実務で使えるのは、値そのものより扱い方です。普及率は「どのページの、いつの、どの定義の値か」まで添えないと意味が決まりません。自己申告の調査であれば、使ったと答えた人の割合であって、成果が出た人の割合ではありません。社内で同じ指標を置くなら、何を「使った」と数えるのかを先に文章で決めておく必要があります。
広げるまでの5段階。最初に止めたのは通常業務だった
全社導入の記事は、経緯を5つの段階として書いています。順番に意味があるのは、最初の2段階が施策ではない点です。
第1段階は好奇心です。ChatGPTが広く知られるようになる前から、創業者が個人で言語モデルを試していた時期にあたり、会社としての計画はまだありません。第2段階が「Code Red」。記事は、GPT-4が出た2023年3月に状況が変わったとしています。Anthropicの導入事例ページ側の記述では、このとき通常業務を止めて全社のAIハッカソンを行い、360人の組織から150件のアイデアと60件を超える提出が出ています。社内の予定を止めたという事実が、優先順位の宣言そのものになっています。
第3段階が土台づくり、第4段階が「ハッカソンから習慣へ」です。社内の共有グループやSlackのチャンネル、ツールの提供を通じて、日常の作業に入っていった段階で、ここで普及率の推移が示されています。第5段階は作り替えです。記事は「In late 2025, we formalized this shift by creating a dedicated executive role: Chief People & AI Transformation Officer.」と書き、人員計画についても「we’re not hiring as quickly because we’re getting more leverage from the team we have」としています。
この並びで注意したいのは、63%から97%までに2年以上かかっていることです。全社ハッカソンの直後でも6割台で、7割台へ届くのは翌年末です。記事自体も、進め方を整ったものとしては描いておらず、雑で一貫性を欠いた部分があったこと、早い人から遅い人まで差があったことを書いています。急に全員が使い始めた事例ではありません。
先に用意したのは、使い方ではなく土台
第3段階として挙げられている項目は、どれもAIの使い方そのものではありません。
1つ目が法務です。記事は「Our General Counsel led the work to create detailed AI use guidelines.」として、法務責任者がAI利用のガイドラインづくりを主導したと書いています。扱ってよいデータの区分や権限の範囲を先に決めた、という順序です。2つ目が調達で、法務・エンジニアリングなど関係部門を横につないで、ツールを入れるまでの時間を縮めています。
3つ目が社内の案内です。「We published a central AI Enablement knowledge hub so people knew how to get started.」と書かれており、始め方をまとめた場所を1か所に用意しています。4つ目が推進役で、経営陣と専任のプロダクトマネージャーが社内の成功例を拾い上げる役を担いました。あわせて、上からの方針と現場の試行を同時に走らせ、失敗した試みを許容する方針が示されています。
この4点は、どれも「使ってよいか分からない」「申請が通らない」「始め方が分からない」「聞く相手がいない」という、使わない理由を先に消す作業です。導入そのものの進め方はAIによる業務自動化の判断と進め方でも整理していますが、公表されている順序は、道具を配るより先に止まる場所を外す形になっています。
何に使っているかは、部門ごとに公表されている
普及率より具体的なのが、用途をまとめた記事です。部門ごとに、何をAIに渡したかが並んでいます。
| 部門 | 公表されている使い方 |
|---|---|
| サポート | Slackの質問から検索語を作り、ヘルプ文書を引いて手順を返す「support sidekick」 |
| セールス・カスタマーサクセス | 通話の文字起こしと要約、CRMへの記録、要約のSlack共有 |
| 採用 | 応募者のIPアドレスと電話番号を照合し、申告した所在地との食い違いを不正リスクとして分類 |
| テクニカルライティング | ヘルプ記事に製品の変更が含まれるかを確認し、製品更新の下書きを作る |
| コンテンツ | 複数のエージェントで機能ガイドの初稿を作る(調査・社内文書の検索・下書き・編集で分担) |
| ユーザー教育 | 動画講座の字幕を複数の言語で生成し、元のタイムスタンプを保つ |
| エンジニアリング | カレンダー・課題管理・Slack・リポジトリから当日の作業を集め、朝会の報告へ要約 |
| 経理 | カードの利用通知メールから取引先と金額を取り出し、分類して表へ記録 |
表の内容は公式ブログの記載によります(確認日 2026-10-07)。効果の数値は、この記事では部門ごとに公表されていません。
並べてみると、用途には共通点があります。件数が多く、手順が決まっていて、人が待たされている工程です。文字起こしの要約、所在地の食い違いの検出、当日の作業の寄せ集め、利用通知の分類。どれも判断の中身ではなく、判断の前に必要な素材づくりにあたります。マーケティングの部門でも、原稿の表記確認や問い合わせの一次分類が同じ形をしています。部門ごとの切り分けはHubSpotが3部門でClaudeを使った事例でも扱いました。
Anthropicの導入事例ページには、同ページで「Lead Product Manager of AI」と紹介されているReid Robinson氏の「Zapier, at its core, is about enabling non-technical people to build things they didn’t think possible.」という言葉と、CEOのWade Foster氏の「Those little gains compound. They build speed, energy, and trust.」が引かれています。小さな短縮が積み上がるという説明で、1件あたりの削減時間は示されていません。
採用の基準にAIを入れた
もう1本の記事は、普及の話ではなく採用の話です。前年に新規採用の全員へAIフルエンシーの最低基準を設け、1年分の運用を経て基準を第2版へ改めたという内容です。
変更点として挙げられているのは5つで、そのうち実務に効くのは3つです。1つ目は最低線の引き上げで、新しい基準を満たすには「AI embedded into their core work」「repeatable systems, not one-off prompts」「clear impact on quality, efficiency, or related outcomes」を示す必要があるとしています。単発のプロンプトではなく、繰り返し使える仕組みにしているかどうかを見る、という線引きです。
2つ目は管理職の扱いです。個人として使えることではなく、自分のチームにAIを広げた実績を示すよう求めています。3つ目は実技試験の作り替えで、仕上がった成果物ではなく、AIを使って作業する様子をその場で見るとしています。評価の対象は、やり方の試行と筋道です。
基準は4段階として設計されていますが、記事で名前が出ているのは新しい最低線である「Capable」だけです。評価の観点は、AIに対する姿勢、戦略、作ること、そして今回加わった説明責任の4つで、応募書類、最初の面談、実技試験、役員面談の4か所で確かめるとされています。
ここは慎重に読むところです。採用の基準を上げたことと、業績や品質が良くなったことは別の話で、記事には成果との対応を示す数値がありません。基準の文章だけを真似ると、自社では測れない要件を応募者に求めることになります。
うまくいかなかったことも書いてある
全社導入の記事には、都合の悪い記述も入っています。初期に試したプラグイン系の取り組みは広がらなかったこと、進め方が雑で一貫していなかったこと、早く使い始めた人と最後まで使わなかった人の差が大きかったことです。
終わりの節では、他社向けに6つの助言が並んでいます。完璧な見通しを待たないこと(「You don’t need a fully baked strategy to get started. You need a spark and space to explore.」)、1つのチームに閉じないこと(「AI can’t live in one team.」)、使えるようにする支援に投資すること(「Build fast, share widely, and lower the barrier to start. People won’t just figure it out.」)、経営がその場に出ること(「Company leaders need to be at those hackathons, building and sharing their work.」)、自社の仕事のやり方を壊す覚悟を持つこと、そして続けることです。最後の1つには理由も添えられており、半年ごとに続ければ力がつくが、一度で終われば元に戻る、としています。
助言の形で書かれていますが、裏返すとこの6つが欠けていた時期の記録でもあります。普及率が6割台で止まっていた期間の長さと合わせて読むのが正確です。
公表されていないこと
判断に使う前に、確認できなかった項目を並べます。
| 項目 | 状態 |
|---|---|
| 普及率の算定方法(設問・対象・頻度) | 記載なし。調査で追い始めたという記述のみ |
| 89%・97%・100%の差が生まれた理由 | 記載なし。同じ調査の値かどうかも不明 |
| AIに使っている費用とツールごとの内訳 | 記載なし |
| 売上・利益・解約率への影響 | 記載なし |
| 社内エージェント800件超の定義 | 記載なし(何を1件と数えるかの説明がない) |
| 人員計画の具体的な数値 | 記載なし(採用を急いでいないという記述のみ) |
| AIフルエンシー基準の段階の名称 | 最低線の「Capable」以外は記載なし |
| 部門ごとの削減時間・品質の変化 | 記載なし |
普及率と業績を結びつける数値は、4本のどのページにも出てきません。したがってこの事例から「社内の普及率を上げれば成果が出る」とは言えません。言えるのは、完全リモートの会社が、通常業務を止める宣言から土台づくり、習慣化、採用基準への組み込みまでを順に行い、自己申告の普及率を公表し続けている、というところまでです。
日本の実務者が確認できること
規模も雇用の制度も違うため、そのまま持ち込める部分は限られます。それでも、自社に置き換えて確認できる問いになります。
1つ目は、普及率を何として測るかです。この事例の数字は自己申告で、算定方法が公表されていません。社内で同じ指標を置くなら、使ったと答えた人の割合なのか、ある工程を実際に通した件数なのかを先に決めます。前者は上がりやすく、上がっても工程は速くなりません。
2つ目は、使わない理由を先に消しているかです。公表されている土台は、ガイドライン、調達の短縮、始め方の案内、聞ける相手の4点でした。この4つが無い状態でツールだけを配ると、使えるかどうかの確認から先に進みません。
3つ目は、任せる工程の選び方です。並んでいた用途は、件数が多く、手順が決まっていて、人が待たされている作業でした。生成AIを社内で使い始めるときの対象の選び方は生成AIの企業活用でも整理しています。見栄えのする仕事から始める必要はありません。
4つ目は、続ける仕掛けがあるかです。半年ごとに続ければ力がつき、一度で終われば元に戻るという記述は、催しの頻度の話として読めます。年に1回の勉強会だけで普及率を語るのは無理があります。
5つ目は、人の採用や評価に持ち込む順番です。この会社は、普及率が高くなったあとで採用の基準を上げています。順序が逆になると、社内に使える場が無いまま、応募者にだけ要求することになります。効果が出るかどうかは、対象の工程と運用のしかたによります。海外企業の取り組みは海外AI活用事例にまとめています。
出典と注記
この記事は、Anthropicが公開しているZapierの導入事例と、Zapierの公式ブログ3本(全社導入の経緯、社内の用途、採用のAIフルエンシー基準)を出典としています。他メディアのまとめ記事や、第三者が推定した数値は使っていません。
数値は原文の表記のまま記載し、換算や丸めをしていません。普及率はいずれもZapier側が自社について述べた値で、第三者の検証を経たものではありません。公表されていない項目は空欄のままにし、推測で補っていません。英語の引用は原文のまま示し、発言の訳は要旨であって逐語訳ではありません。
採用の基準や社内の制度は改定されます。判断に使う前に、公式ページの現在の記載を確認してください。成果を保証する記述は含みません。確認日は2026年10月7日です。
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